前号で城山三郎さんのゴルフについて書いた。
「静寂を旨としてプレーするのが城山さんのゴルフであり、それがゴルフというものだ」と。
まだ若く希望や夢が身体のあちこちからあふれ出そうな歳の若者から「静寂のプレーこそがゴルフ」というのはよくわかりませんと訊かれた。
『今から長くゴルフをしていけば、静かにプレーすることを善しとすることはわかる日が来るよ』
「今、教えてもらえませんか」
『それはできません。他人から言葉で教わるものではないよ。
それに言葉で伝えてすぐわかるものなら、それはたいしたことを伝えていないことになるしね。
すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなるのと同じだ』
「そうですか。でも親しい仲間と一日笑って愉しくやるのもゴルフの魅力だと思います」
『それは勿論です。ゴルフの大きな魅力だ。私は別にしかめっ面してプレーしろと言っているのではない。笑ったり愉快になることができるゴルフは最高だと思うよ。そうだな、敢えてひとつ言うなら、必要以上に騒ぐな、はしゃぐな、かな』
若者はうなずいたが納得はしていない。それはそうだ。
若いときにはわからぬことだらけである。
それが生きるということである。
伊集院静(7月30日号 週間Par golf)
(>_<)
仕事もまた同じではないでしょうか。ここの文章で表現されているようなふところの深い愛情で、部下や後輩に接することができるようになれば己の成長でもあるような気がします。
ki銀次郎
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